「大人の発達障害」という言葉をよく聞くようになってきた(気がする)昨今。
まさか私がその診断のために検査に行くことになろうとは数ヶ月前まで全く、ほんの1mmも、思っていませんでした。
ただ、結果的には検査を受けてとても良かったと感じていますし、今まで知らず知らずのうちに勝手に背負ってしまっていたような肩の荷が少し降ろせたような、やっとホッとできたような安心感もあります。
今回はそんな「大人の発達障害」の診断検査をしてみようと思った私の体験をお話しします。
大人だけど発達障害の検査へ行こう。診断してもらおう。
発達障害の1つである、ASD「自閉スペクトラム症」やADHD「注意欠陥・多動性障害」の検査を受けようと思ったのが今年(2023年)に入ってから。
正直それまでは発達障害というものがあることは知っていて時々関連した本を読んだりしても、自分がそうかもしれないなどとは思うこともなく、更にはなぜか私の中でそれは自分以外の『誰か他の人のもの』という認識があることにすら気づいていませんでした。
精神世界に興味があった私は『発達障害』よりも先にHSPやエンパス、スターチルドレンという言葉のほうに惹かれ、またしっくり感もあり、興味が湧くのもそれらの言葉に対してで。
ただ、あるきっかけでちゃんと当事者かもしれないという認識で発達障害について調べてみようと思ってからは、知れば知るほどに私はこのカテゴリーに属するんだなという思いが強くなりました。
例え発達障害だとカテゴライズされたとしても、今までずっと感じていた生きづらさが変わることはないんだろうなとは思いつつ、分かることでできる対策とか対応とか割り切って心づもりができる部分はあるんじゃないかと思いながら願いながら、検査をして診断してもらおうと決めました。
ところで、私は電話がとても苦手かつ緊張強いなので(緊張して頭の中が真っ白になるタイプ)電話はできるだけ避けたいと思う人なのですが、それでも今回は意を決して、私にしてはかなりスピーディーな行動力をもって電話をかけ検査の予約をとりました。冷や汗をかきました。ふぅ。
いつまで経っても謎な私自身を知るための1つのピースになってくれるならという願いにも似た思いが、電話嫌いの私の重い腰をすぐに動かすほどに知らず知らず強くなっていたんだと思います。
みんな同じだと思ってた”生きづらさ”だけど…
検査を受けてみようと動いた直接のきっかけとなったのは、私の師匠からの話でした。
以前から似たような傾向があると感じていた師匠ご自身が発達障害の診断を受け、更には機会があったら検査を受けてみるといいかもしれないよと言われたのです。
こちらは師匠が書いた、ご自身の体調不良から発達障害がわかったことについてのNOTE。
体調不良の原因がASD/ADHDかもしれない話 by 黒猫魔術店 魔女 蜜猫
生きづらさというのは多かれ少なかれ皆さまもっているものなんじゃないかと思いますし、そんな中でどうにかこうにか日々をこなしながら生きていくのが人間なんだと私は納得していたんです。だから私もそうやって生きていかないといけないんだと、生きづらさはみんな同じなんだと思っていました。子供の頃から。
ただ成長するにつれて、その生きづらさというのは人によってその種類もその深さも違っていて、それにどう対応すればいいのかとか、それを本人や周りがどう受け止めてるのかとかも、全くもって違うものなんだということがようやく分かってきたように感じています。
生きづらさの質というか生きづらさそのものの内容から、それがどう人生に与えるのかの影響まで、濃さも色も香りも全然違う。上手く活かせたらとても素敵だけどいつでもそう上手くいく訳でもない。
みんなにあるけどみんな違う生きづらさに、私自身はどう立ち向かっていくのがいいのか、もしくは立ち向かわずに流していけばいいのか。
心理検査がそんな私の生きづらさの真相を少しでも解明してくれないかと期待しつつドキドキしつつ、精神科を受診して2ヶ月目で検査の予約をして、更に2ヶ月たった頃にようやく検査を受けられることになりました。
電話で予約をしてからテストを受けるまでの期間、約4ヶ月。
心理士さんの予定がいっぱいで待たないといけないとのことで。子供から大人まで検査を受けたい人が沢山いるらしいということも分かりました。
きっと大人も子供も大変なんだ。
発達障害の検査について
私が発達障害の診断のための1つの検査としてうけた心理検査は
「Wechsler Adult Intelligence Scale」通称WAISと呼ばれるものでした。
もちろんこの知能検査だけで発達障害を確定できるものではないようで、診断はあくまでも総合的にするとのことでしたが、このテスト結果で分かる範囲でのIQの偏り、凸凹を知ることによって、今抱えている困りごとについての対策なども提案できると言われていました。
検査だけを希望して受ける場合は数万円するらしいとどこかで読んで恐れ慄いていたのですが、精神科を受診して検査が必要だと判断されたという形で受けるのならば、数千円(保険適用)でできるとのことでした。
私が受けた時も後者の形となったため、数千円の費用となりました。
また、心理士さんに検査結果をまとめたものを紙で発行していただく場合はその分のお金が別途必要となりますとのことでした。
私は説明を受けても多分すぐ忘れてしまうと思ったのと、後から振り返りたいとも思ったので検査結果を紙でいただくことにしました。
検査の値段や結果の通知方法などについてはもしかすると病院や機関によって違うかもしれないので、もしこれから検査をしようかなと検討している方でその辺が気になる方は、必要に応じて事前に問い合わせてみるのが確実だと思います。
検査を通して自分が何を知りたいのかや、何を求めてるのかで、どのような形でどの場所で検査をするのが合ってるのかは変わってくるのかもしれません。
WAIS-IVの検査とは
WAIS(Wechsler Adult Intelligence Scale)の中にも種類がいくつかあるようですが、私が受けたものはWAIS-IVとのことでした。
検査を受ける為に何か事前に準備は必要かと質問したところ、何も必要ないしむしろ何もしないてくださいとのことだったので、何もせずめちゃめちゃ緊張しながら冷や汗をかきながら受けました。例の如く。
検査は、机に齧り付いて1人で問題を読みつつ時間内にそれをひたすら解いていくような、私が想像していたいわゆる試験のようなものとは全く違って、心理士さんのお話を聞きながら一緒に問題を解いていくという形のテストでした。
すでにうろ覚えになっていますが、話を聞いてそれに対する質問に答えたり、パズルのようなものを組み立てたり、絵をみて質問に答えたりした記憶があります。
テストを受けたあとにWAIS-IVについて調べてみた所、この検査結果からは以下のような4つの指標が分かるようでした。
- 言語理解指標
- 知覚推理指標
- ワーキングメモリー指標
- 処理速度指標
それぞれのカテゴリーで点数が出せるような問題となっていたようなのですが、それぞれの問題について何が出来ていて何が出来てないのかなどは、私にはさっぱりわかりませんでした。
それ以前に、なるべく早くやって下さいと言われた問題は焦って考えられなくなってしまうし、話を聞いて答える問題は問題の意味が良くわからなくて考え込んだり聞き返したり、答えはこれかなと思うものでも何度も頭の中で確認してるうちに時間が経ってしまったりで。
終わった後はあの答えは絶対これだったはずなのにとか、もっと早く言ってればよかったとか、モヤモヤ感満載で苦しかったですが、そんな多分挙動不審であったであろう私にも、心理士さんはとても穏やかで静かに丁寧に話して下さったので、その点はとても有り難かったです。感謝。
もう大人だけど、診断を受けたらどうする?
心理検査の結果は受けてから約1ヶ月後とのことでしたので、考えすぎて答えられなかった問題や答えが気になってしかたなさすぎの問題について、いつものようにぐるぐるぐるぐると考えながら、でも出来るだけ考えないようにと心がけながら、もし発達障害だという診断を受けたら私はどうしたいのか、どうしようと思ってるのか、今更ながら自分で自分に問いかけてみました。
私はもうすでに大人なので、子供の場合とは違ってこれから義務教育を受けることはありません。
なのでどのような形で義務教育を受けていくかや義務教育を受ける環境にどうやって慣れていくかなどについては問題としては上がってきませんが、もし子供の頃に受けられたらもう少し学校生活の悩みが減ってたんだろうかとか、親から理解して貰えたんだろうかという思いがまず湧いてきました。
ただこれはすでに過去のこととなっているので、今現在大人として、これからも社会人として親として生きていく中で、自分の今までの経験や今の生き方を振り返りながら、子供時代のことについても検査結果と照らし合わせて、自分を更に知る為のヒントや同じような方の1つの情報になるようにしていけたらいいなと思いました。
またもしも大人の発達障害だと診断された場合、多分少なからずショックも受けるんじゃないかと思うのですが、脳の使い方や機能が違うということを障害と呼ぶのなら、またそれも私を表現する1つの呼び方なのかもしれないとも思ったりしました。
それにきっと人にはそれぞれ合った生き方も合わない生き方も色々とあるものだと思うのですが、それは誰しもが自分で探さなくてはいけないもので。そしてその為にはまず、自分自身を知らないといけないと思うんですよね。それにそこが難しいところでもあって。
検査とかテストとか、そういったもので私の全てが分かるのかと問われれば、その答えはNOだと思いますし、知りたい知りたいと言いながらそんなもので勝手に決めつけられたくないという思いも正直あるのですが、私という謎を解くための1つのピースには必ずなってくれるんだとは感じました。
自分で知って自分で判断する。きっとこれが大事なんだとも。
また、全然関係ない話のように聞こえるかもしれませんが、占いも私にとっては自分自身を知る為のツールで、どう生きていくかのヒントになってくれるものだったりします。
魔女として生きるというのも、自分自身と向き合って己を知るとか、自然に感謝して共に生きるとか、宇宙の理の中で『私』がこの星のこの時間をどう過ごすかどう成長していくかという壮大な課題に取り組むためには、私にとってとてもぴったりで、とても自然なことだと感じてもいます。
誰かや何かに自分を委ね過ぎないように気をつけながら、今回の検査の結果も自分に有意義に活用できればそれでいいと、不安も心配も入り混じって怖くなってる部分はありつつも、自分で思ってたよりも前向きに捉えられてるなと感じました。
知ること。そしてそれを活用していくこと。
私にとって人生は、多分その繰り返しなんだと思う。
診断結果については次のブログでご報告しますね。
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